只見線・大白川駅の昔と今

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現在、一部区間の存廃が取り沙汰されている只見線。

ちょっと調べてみたら、深みに嵌ったので記事にします。


只見線の貨物輸送

今でこそ、気動車が毎時40キロ程度でのんびり走っている只見線ですが、かつては小出-大白川間に貨物列車が走っておりました。

  • もともと、只見線の一部は、田子倉ダム建設のために敷設された電源開発社の専用線であり、貨物列車のために存在していた訳ですが、ダム完成後も貨物輸送を行っておりました。

大白川周辺で珪石が採掘され、それの輸送に専用貨物列車が走っていたのです。

昭和37年(西暦1962年)には、北越製紙(現・北越紀州製紙)の子会社だった上越開発が、大白川にパルプ原料となる木材チップ工場を設置し、大白川は今の状況からは信じ難いのですが貨物列車が結構走っていたようです。

昭和43年(西暦1968年)には大白川での珪石採掘が終了しましたが、その後も国鉄末期の昭和55年(西暦1980年)まで上越開発の木材チップ工場からの貨物列車は継続していたようです。


大白川駅配線の今昔

ともあれ、このような状況から、昭和54年(西暦1979年)の大白川駅構内は、今よりも側線の数が多かったのです。

昭和54年 8月現在の配線図と平成27年 4月現在の航空写真で見られる配線と見較べたところ、以下の様な差異が生じておりました:

只見線大白川駅の平成27年4月現在と昭和54年を較べた配線図

北側には、現在でも東側から分岐する一本の側線が残っておりますが、この側線は除雪車などを止めておくためにあるようで、営業には全く使用されていないようです。

この側線と駅ホーム北側のレーンの間に、かつてはもう一本レーンがあって通過待ちなどに使えましたが、現在はそのレーンは跡形もなく撤去されております。

また、駅北東側にある給水塔への側線も残っておりますが、給水塔自体が昭和47年(西暦1972年)の完全無煙化で不要となった結果廃墟と化しており、従ってこの側線は全く使われていない筈です。

  • 何故給水塔も給水側線も四十年以上もの間放置したままで撤去しないのだろう?

更に東(只見方面)には、上越開発のチップ工場があり、そこの専用線が分岐していたようですが、現在は跡形もなく消えました。

更にはその工場と思われる場所は、平成27年現在も空き地のままとなっております。

一方、南側にも側線が一本ありましたが、こちらも跡形もなく撤去されており、側線があったと思われる箇所は河原の一部となって自然に還っております。


余談

  • 大白川に木材チップ工場を設置していた上越開発は、その後移転した後平成14年に解散したとの事です。
    • 大白川の工場については詳しい事は分かりませんでしたが、恐らく昭和55年(西暦1980年)の只見線の貨物輸送廃止は、国鉄側の都合や当工場のトラック輸送への転換などではなく、当工場の閉鎖に依るものと思われます。
  • 北越製紙は、鉄道に依る輸送を積極的に活用しているそうで、北越紀州製紙になった今も各地の工場で鉄道輸送を採用しております。
  • 大白川駅は、かつては只見線の新潟県側の拠点として有人駅となっておりましたが、平成21年 3月の CTC 導入に伴い、無人化されております。

参考文献

只見線
日本語版ウィキペディアより
北越紀州製紙株式会社
日本の鉄道貨物輸送と物流より
大白川 1979/8/7
懐かしい駅の風景~線路配線図とともにより
平成14年3月期 決算短信(※PDF 形式です)
北越紀州製紙株式会社公開情報
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