鉄道ファンがローカル線廃止に冷淡になった理由

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過日、知人のトゥイッターを見ていたら、彼女がリトゥィートされたつぶやきが気になり、そのつぶやき主も見てみました。

三江線や北海道など、昨今の鉄道ファンはローカル線の廃止についてかなり冷めた目で見るようになったと言うのです。


自称旅行会社社長が悪いと言うが…

彼は、その一因として制作者も普段からディスっている自称旅行会社社長の悪行を挙げておりました。

確かに、彼奴は神岡鉄道以来平成10年代に廃止が検討されたローカル線に対し散々出しゃばってきておりました。

神岡鉄道の一件では株主代表訴訟を起こしたり、後に北海道木古内町の町議会議員に立候補するなど、無駄に行動力がある故やたらと目立ちました。

でも、制作者が思うに、彼奴の一連の行動は単に悪い意味での売名以上の効果はなかったのはないかと思います。

  • つぶやき主は彼奴が散々現場を引掻き廻した挙句廃止に追込んだと主張しておりましたが。

彼奴を排除して再起した例もある

実際、旧南海電気鉄道貴志川線や旧茨城交通湊線は、彼奴を排除した結果和歌山電鐵やひたちなか海浜鉄道で再起を果たしております。

ひょっとしたらいすみ鉄道の社長公募や北近畿タンゴ鉄道の運営者募集にも応募したかも知れませんが、いずれも無事に彼以外が当選し、再起に繋がっております。

こう言った事を考えると、これまで廃止された路線については単にその流れを止められなかったに過ぎなかっただけだと思うのです。


私は彼奴の味方でない

念の為に書いておきますが、私は彼奴を擁護する気は全くありません。寧ろ叩いております。私もアンチです。

ですが、偏った見方からくる思い込みにも同意しません

  • 如何にアンチでも無実の罪まで着せてはいけません。

この件については、他に原因があると思っております。


本題:原因は"乗らずに残そう運動"

さて、前置きが随分と長くなりました。

鉄道ファンがローカル線廃止に冷淡になった最大の契機は、後に"乗らずに残そう運動"と揶揄されたあの運動だったのではないでしょうか。


噴飯物だった可部線廃止反対運動

そう、あの噴飯物の可部線非電化区間廃止反対運動です。

やたらと可部線を廃止するな廃止するなと声だけは大きく、でも誰一人として可部線に乗車しようとはしなかったのです。

中国新聞では連日美談のように取上げておりましたが、誰一人として乗車しようとしない運動家たちを見ているうちに、ネットでは次第に見方が冷ややかになっていきました。

制作者も初めはこの運動を支持しましたが、次第に疑念が大きくなって行ったのを覚えております。


自ら可部線不要をアピールした愚行

特に個人的に呆れたのが、西日本旅客鉄道広島支社への直訴でした。

この時に可部線が利用された形跡は全く無く、間違いなくマイカーでの乗込みだったでしょう。

そして、その行為は可部線が実際には要らない事を暴く以外の何物でもなかったのです。

結果として支社長に「なんやこいつら、そんなに可部線が要らないんか」と思わせるには充分過ぎた事でしょう。

この"乗らずに残そう運動"の結果、鉄道ファンにも「乗られない鉄道は廃止已む無し」と言う考えが広まって行ったのです。


その後の"乗らずに残そう運動"もダメ

平成10年代は可部線廃止反対運動の後にも、この手の"乗らずに残そう運動"が展開されておりました。

そのどれもが、可部線の一件同様鉄道ファンの心を掴む事すらなかったのです。

北海道ちほく高原鉄道でもやはり市民団体などが廃止反対を訴えておりましたが、その誰もがふるさと銀河線に乗った形跡を見せませんでした。

その団体のサイトには掲示板もありましたが、関係者以外は鉄道ファンであっても彼らを批判すると言うより諌める投稿しかしませんでした。

  • 誰とは言いませんが、一部の有名な荒らしを除く。

結局"乗らずに残そう運動"も自称旅行会社社長も…

結局、平成20年代に入ってからは、このような"乗らずに残そう運動"はなされなくなって行ったのです。

また、件の自称旅行会社社長も十和田観光電鉄や江差線木古内以遠区間など路線廃止話しに飛付く事はなくなりました。


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