鹿島参宮鉄道連絡船のその後

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鹿島鉄道の歴史を見ていて、いつも気になる事がありました。

それは、鹿島鉄道の前身だった鹿島参宮鉄道が開設した浜から鹿嶋への連絡船はどうなったのかと言う事です。

  • この記事は、前記事を書いていて腑に落ちなかったため調べ直した事をまとめております。

鉄道史だけでは見えない連絡船の歴史

確かに、連絡船は鉄道ではありません。

しかし、それでも鉄道の延長として整備された事を考えると、もう少し深く研究されても良いのではないかと思います。


"鹿島参宮連絡船"の開設と撤退

鹿島鉄道の前身だった鹿島参宮鉄道は、昭和 2年(西暦1927年)に浜(旧茨城県玉造町)から潮来経由鹿嶋行きの連絡船を開設しました。

当初、鹿嶋までの鉄道路線を計画していたものの、鉄道線は鉾田方面へ延伸し、潮来・鹿嶋へは浜からの連絡船で代替する事としたのです。

ただ、予想よりも利用されず、昭和 4年(西暦1929年)には佐原航路も開設したものの、結局昭和 6年(西暦1931年)10月に水郷観光汽船(現・ラクスマリーナ)に連絡船事業を譲渡し、連絡船事業から撤退してしまいました。

尚、鹿島参宮鉄道は同じ昭和 6年の 7月に潮来自動車商会の乗合部門を買収して自動車事業に進出し、その際に鹿嶋地区での路線バス事業を始めております。


鹿島参宮鉄道撤退後の連絡船は…?

さて、鹿島鉄道の歴史を調べると、この辺りで連絡船に関する話しは終わってしまいます。

ですが、平成19年の鹿島鉄道線廃止当時でさえ、連絡船の乗場があった筈の浜駅周辺には、船着場の面影は全くありませんでした。

つまり、かなり早い時期に航路は廃止となっている訳ですが、その辺りはどうなったのでしょう?


僅か一年で廃止になった、水郷観光の浜-鹿嶋線

実は、水郷観光汽船は鹿島参宮鉄道から事業を譲受けた翌年の昭和 7年(西暦1932年)頃には浜-潮来-鹿嶋航路を廃止していたのだそうです。

鉄道網の発達に加え、戦後の道路網の発達に依り、首都圏内の航路は壊滅状態となり、水郷観光汽船も戦後程なくして経営難に陥ったようです。

結局、水郷観光汽船はバス会社・水郷観光と合併、バス路線との連携を深める事で生残りを図りました。


その後の水郷観光

首都圏内の航路はその後も生き存えておりましたが、結局昭和50年(西暦1975年)に霞ヶ浦周辺の定期航路は全廃となりました。

その頃、水郷観光汽船は霞ヶ浦の遊覧船事業に主力を移し、平成元年に京成マリーナに、その後平成19年に現社名のラクスマリーナに改称し今日に至ります。

  • 奇しくも、鹿島鉄道線が廃止されたその年に、水郷観光汽船は社名を変更した事になります。

定期航路については、平成18年に土浦-玉造-潮来に季節航路を復活させたようですが、平成21年以降は運航を行っていないようです。


まとめと感想

鹿島参宮鉄道は、当初の目的を果たすべく連絡船航路を開設しましたが、数年で撤退に追い込まれ、それを引継いだ水郷観光汽船も一年程で当該航路を廃止してしまったようです。

水郷観光汽船はその後遊覧船事業に主軸を移して現在は社名をラクスマリーナに変えて現存しております。


それにしても、鉄道の事ばかり考えていたら、こう言ったサイドストーリーを知る事は出来ないのでしょうかねえ。

もう少しあらゆる関連事項に視野を拡げなければと自戒せざるを得ません。


参考文献

これらのサイトが見つけられなければ、制作者にとっての謎は解けず仕舞いだったでしょう:

水郷汽船史
東関東アクアライン内のコンテンツです。
ラクスマリーナ
鹿島参宮鉄道から連絡船事業を引継いだ旧水郷観光汽船の公式サイトです。
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